てなもんや四三式flying boat

「人間の基本的欲求は上から順に、炊きたての白米、肉、現金、生きた豚、フォーンのパグである」(アブラハム・マズロー)

令和の時代にのらくろを読んだ

コロナで巣ごもり中ということもあり、久々にのらくろをキメたいな、と図書館で借りることにした。

今どきは図書館も出張所が増えたし、他所の図書館の収蔵物も取り寄せてくれるので便利である。地元の図書館、本当は漫画の取り寄せはNGだったらしいのだが、何故かのらくろはリクエストが通った。もう司書さんが「のらくろ」を知らない時代に突入しただけなのかもしれないが。

図書館ののらくろ事情

現在読めるのらくろは大きく4つの書籍がある。

・大判の「のらくろ漫画全集復刻版」と「のらくろ漫画全集」の15巻セット。

・「のらくろカラー文庫」。上述ののらくろ漫画全集を装丁をほぼそのままのスタイルで文庫サイズにしたもの。これも全15巻。

・「のらくろ漫画全集」全1巻。これは上記の復刻版よりも前に出た少年倶楽部掲載分の総集編。4ページを1ページに集約している。田河水泡の直筆サイン入り!

・「のらくろ漫画集」。同じく文庫サイズだが、ソフトカバー。これは全4巻なんだろうか

この中で最後ののらくろ漫画集は論外。現代仮名遣いに変更されている上に、セリフも内容も「配慮修正」が為されている。そもそも全編載ってないし、「のらくろ」の魅力である装丁と彩色の素晴らしさが感じ取れない。少年倶楽部掲載分を集約して載せている「のらくろ漫画全集」も、あくまでコレクターズグッズとして見ておくのが良いだろう。

大判とカラー文庫は、田河水泡紫綬褒章受賞を記念して発刊されたもの。奥付だったり田河水泡のコメントだったり、完全な復刻という訳ではないが当時の内容と装丁を出来る限り再現したと言って良い。続のらくろ漫画全集は復刻発刊のスタイルで戦後版を収録したもの。外装カバーもあるし、コレクション的には大判一択だろうが、カラー文庫も相当な気合の入れ方なので遜色ないと言っていいと思う。

図書館で読む前提なら、老眼なら大判、それ以外ならカラー文庫をオススメする。ただし、図書館収蔵のものは外装カバーが付いてないのが基本なので装丁全てを眺めることはできない。そこまで行くと古書を探すか、国会図書館とか森下ののらくろ館あたりを調べてみるしか無い。

これらののらくろ本、非常に素晴らしい本ではあるが、昭和44年~56年に発刊されたきりで、流石に公共施設の蔵書となると状態の劣化が激しい。復刻本としてはヒット(正確な部数は不明)したようで、収蔵館は割と多いものの、全巻揃っているところは既に希少な状況になっている。

日本のキャラクター文化の先駆け、国民的キャラクター第1号と言っても過言ではない訳で、戦争描写があったとしても、今の子どもたちが軽く手に取れるような状態にしておくべきだと思うんだけど。

f:id:type43:20210413160333j:plain のらくろ茶店ではラストカットが裏表紙に記されている粋な演出があるのだが、こんな有様。

ちなみにWikipediaには比較的読むのは容易とある。誰でも編集できる分、相変わらず適当なサイトだ。まあ、他の稀少本と比べれば容易ではあるのは事実ではあるが。今回、方々の図書館から取り寄せて読んだ訳だが、上述のように、漫画NGルールが適用されていたら僻地の図書館まで行かないと読めなかったので、子供が気軽に読める代物ではないというのが事実だろう。

図書館に関しては、そもそも漫画NGルール自体も若干、時代錯誤感がある。最近は売れ筋の漫画や小説、CDを収蔵する事に躍起になっている図書館が目立つ。そんなのは1年後でいいだろう。もしくは貸し出しを生活保護者に限定するとか。とにかく流行りの漫画まで取り扱っているからこそ、のらくろみたいなのも一緒くたに扱われてしまう訳で、文化的価値の高い漫画は貸し出しを容易に、そして大切に、という扱いになって欲しいとは思う。

のらくろの魅力

世間一般ののらくろ評は「野良犬で身寄りなし、ドジで間抜けなのらくろが、あれよあれよと出世して大活躍する立志伝」という感じなのだが、まあそれは間違っていないし、田河水泡自身も人気が出た理由をそのように述べているのだが、本質的な面白さは別なところにあると思っている。のらくろ展を見てから気付きを得られたことが2つ。

のらくろ展についてはこちら

「のらくろであります!田河水泡と子供マンガの遊園地」展に行ってきた - てなもんや四三式試製飛行機計画要求案摘要

1つは元前衛芸術家であるが故の田河水泡のアート性。フルカラーコミックスであり、その色使い。コマ1つ1つがイラストとして完成されている。田河水泡自身がデザインしたという装丁。裏表紙の遊び。どれをとっても今でも通用すると思うし、戦時日本でこんなの与えられたらそら子供は度肝抜かれるだろ。ナカムラ・マンガライブラリイだったかがその装丁をパクった、というか影響を与えたらしいので、業界的な意味でもインパクトがデカかったんだろうなあと感じる。

現代日本でこのクオリティにしたら漫画カテゴリではなくアートブックにカテゴライズされちゃうと思う。メガヒットした作品がようやく特装版として許される領域。ジャンプコミックスでさえ、掲載時のフルカラーのまま収録されているのは珍しいみたいだしね。

f:id:type43:20210413160835j:plain 戦争あたりがピークで、描き込み具合が段違い。夜間シーンの描写(のらくろ総攻撃)

f:id:type43:20210413161104j:plain 遠近感を意識した表現も多い(のらくろ総攻撃)

f:id:type43:20210413161212j:plain 縦コマと空の濃淡の色使い(のらくろ総攻撃)

f:id:type43:20210413161456j:plain のらくろ屈指の名シーン(のらくろ武勇談)

f:id:type43:20210413161623j:plain 戦後版は少し洗練されて小綺麗になってしまうが、今までになかったバストアップ構図を使っていたり書き込みの粒度が上がっているので、コレはコレで良い。(のらくろ茶店

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f:id:type43:20210413171608j:plain 裏表紙への描き込みは戦後になるとより一層こだわったものに。

f:id:type43:20210413161644j:plain 戦中版にはない演出。なお、この後、のらくろは死ぬw(のらくろ放浪記)

もう1つはストーリーの骨子にある落語。これも落語ゆかりの田河水泡の特色だと思う。「○○をやろう」「○○したほうがいいな」「わあ○○だ」「誰だ○○したのは」「どうもすみません」「けしからんやつだ」「わあまたか」みたいな。各話が落語の構成になっているが、その中にも更に小咄が織り込まれている印象。田河水泡自身のギャグセンスというより落語の面白さを混ぜ込むのが上手いというか。落語がベースになっている分、笑いのツボが現代でも色褪せない点も特筆する点だと思ってる。

本質的な面白さに加えて、立志伝というストーリーの芯が通ったからこそ、のらくろは完成度が高いのだろう。

f:id:type43:20210413161859j:plain 慰問袋が歩き出す。この後、部下も畳み掛けるように変なものを慰問袋に詰め込んでいたことが明らかになる。(のらくろ少尉)

f:id:type43:20210413161931j:plain茶店初出勤でこれであるw戦後版は日常シーンのみで構成されている分、落語色がより強い印象。

いずれも、子供騙しの域を超えている印象で、当時から大人からの評価も高かったんじゃないかと思うのだが、どうなのか。子供の教育的な意味合いだったり、自身が楽しむ意味だったり。滝田ゆうの寺島町奇譚ではお婆ちゃんがのらくろでゲラゲラ笑うシーンが登場するのだが。

子供向けコメディ・・・については最近ドリフのカトちゃんがインタビューで答えていた記事が印象的だったので紹介する。 https://news.yahoo.co.jp/articles/0c1bb6faa1d139d17de16d5f5f015e6581b1a589

「子ども向けに作っていたのかなと思うでしょ? そうじゃないです。子ども向けに作ったら、子どもに馬鹿にされます。大人向けに作って、大人にウケれば、子どもにもウケる。とはいえやっぱり、子どもは理屈抜きでバーンと笑ってくれる。大人になると、『うんこ……?』ってちょっと考えてしまうところがありますよね」

これと同じで、真面目に作ってたんじゃないかなあと思ったりする。のらくろ一代記にもそういう記載があったような無かったような。

のらくろのストーリー

軍隊で出世しながら大活躍、そのうち除隊して大陸開拓をしたり、最後は喫茶店に務める、というのが一般的に紹介されるのらくろのあらすじ。今回読み直してみて、このざっくりしたあらすじだけではのらくろの紹介としては少し不足している印象を持ったので、記憶が鮮やかなうちに深堀りをしていきたい。

のらくろ、大まかにパート分けをすると、出世編戦争編大陸開拓編予備役招集編戦後編の5つに分かれると考えている。

出世編

二等卒、一等兵上等兵、伍長、軍曹、曹長、と順調に進級し、士官学校を経て少尉に任官、というあたりがいわゆるのらくろの代名詞といえる出世話だろう。他愛もない話が続き、時折功労を立てるというのが基本展開。

連載開始が昭和6年1月で、以後1月を迎えると進級を迎えるような展開だったらしい。単行本も年1回、各等級の括りで出版されている。諸々制作・編集の面でも区切りよくやっていたんだなという印象。12月出版というのはもしかしたらお年玉商商戦を意識したものだったのかも。呼称が卒から兵に変わった事実も、のらくろが最も後世に伝えている話のような気がする。

のらくろ少尉の後半から、蛙や熊との間で、徐々に小規模な戦争が増えていく。掲載時期は昭和11年(1936年)。二・二六事件で統制派が台頭し、軍事色が強くなってきた時期である。

戦争編

熊との戦争で中尉に昇級するが、このあたりになると出世の色合いよりも露骨な戦争描写が中心になる。少尉時代に討伐した熊にそそのかされ、間抜けな豚勝将軍(トンカツ将軍)が猛犬連隊に挑む。豚の兵隊も豚の市民も豚勝将軍はよく思っていない。さらに豚は羊の国を属国としている。 猛犬連隊はそれを鎮圧。羊の国を開放し自由な貿易ができるようになる。羊からも豚の市民からも歓迎されて「新しい大亞細亞(ダイアジヤ)ができるぞ」と万々歳。

うーん、露骨!

どう見ても熊はロシアだし、豚は中国だし、羊は満州。じゃあ少尉のときに出てきた蛙は朝鮮か?慰問袋を戦地に贈りましょう、なんて宣伝もやってたりする。牧歌的なのらくろはどこかに行ってしまって雰囲気がまるで違っちゃった。

だけど、戦記物として見るとコミカルで、のらくろも勇猛果敢。しかもこの豚との戦争が3年にも渡って展開されるので大スペクタル。確かに面白いは面白い。でも、リアルで読んでた子どもでも、最初の方は「最近ののらくろ、なんか違うんだよなあ」と違和感感じた子も多かったんじゃないかねえ??(逆に昔ののらくろは面白くないとか言ってた子も多そうだが・・・)

蛸の八ちゃんなどのゲストキャラクターの登場頻度が上がるのもこのあたり。

大陸開拓編

大尉にまで昇給したのらくろ、末は元帥大将か~と歌われていたにも関わらず、昭和14年(1939年)4月に唐突に依願免官。大陸の開拓を目指すことになる。 前年に南京城を占領し、この1939年はノモンハン事件で日ソ衝突が発生、また第二次世界大戦が勃発した年。41年には太平洋戦争が開戦となる訳だから、国政・軍部的には戦争に対してイケイケドンドンな時代。戦時高揚を図るならもってこいのタイミングではある・・・のに何故?

他方、大陸開拓自体も国策の意味合いが強いだったりして、のらくろも除隊時にモール中佐に対して大いに大義を語るシーンが有る。満蒙開拓青少年義勇軍が前年に制度化され、満蒙開拓団の送出数は翌40年にはピークとなる1万戸になったというので、青少年を送出することを後押しする意味があったのだろうか。

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大陸開拓に向けて大いに語るのらくろのらくろ探検隊)

ここ、自伝ののらくろ一代記(といっても途中で田河水泡が他界してしまったため、妻の高見澤潤子氏が記載しているのだが)に記載があるそうで、少佐に昇進してからドジをやらせると軍部からクレームが付く可能性があるので、大陸開拓でお国の役に立つ形に方向転換させた、ということだそうだ。(読んだけど現物無いので未確認)

のらくろは軍国プロパガンダ的な漫画、と評されることがある。まあ、これはトンチンカンな評価だ、というのは読めば分かるのだが。のらくろは規律違反は度々犯すし、営倉にはブチ込まれる。決して清廉潔白な英雄譚ではない。しかも、上記のように軍部から必ずしも歓迎されていた訳でもないようで、事実、印刷用紙統制のためにのらくろは打ち切りさせられている(それだけのらくろを掲載していた少年倶楽部の部数が落ち込まなかった訳で、目の敵にされてしまったということ)。

そうは言いながらも、のらくろは愛国的か、と言われると、まあそうだろうな、とは思う。愛国的な英雄像として描かれているのは間違いない。当時の時節柄、当時の置かれた環境を考えると、大人も子供もおねーさんも、そういう思想になるのはやむを得ないものだろうとは思う。それでも戦争から距離をおいて生産的な世界にのらくろを置いたのは、多少戦争に対する忌避感があったのかな、とも思ったりする。まあ、のらくろが持ち上げた満蒙開拓団も、結果的に皆不幸になってしまった訳だが。

のらくろ探検隊」発刊(1940年12月)後、1941年10月にのらくろは打ち切りになる。次巻ののらくろ召集令は全て戦後に描かれたもので、この10ヶ月間の掲載分は単行本未収録のようだ。最後の打ち切りは2ページのみの掲載。そもそものらくろ探検隊自体が色々と順番入れ替えや修正が入っていてオリジナルのものではないというコメントもあるが、発刊されたのは打ち切り以前なので、探検隊以前から結構掲載版と単行本とで内容違っているんだろう。

予備役招集編

のらくろ召集令」および「のらくろ中隊長」に当たる部分。探検隊として大陸に渡っていたのらくろとブルが予備役として再招集され、猿との戦争に駆り出される話。冒頭に田河水泡のコメントがあり、のらくろ探検隊から戦後ののらくろをつなぐために新たに描かれたという。

ブルも除隊して大陸に渡って鉱山会社を経営していた、というところも収録されず仕舞いだったので、改めて除隊あたりの描写から描かれている。なので大陸開拓パートの一部ともとれるが。画風がより近代的になっており(先述の通りバストアップ構図なども多用されている)、末期の少年倶楽部掲載分を収録した訳ではない、というのは間違いなさそう。

f:id:type43:20210413163625j:plain 戦中版では見られなかった構図(のらくろ召集令)

ここで特筆すべきは、敵役として登場する猿だ。犬の領地に勝手に侵攻したり、部下を見殺しにしたり、置いていかれた部下が手榴弾で自決しようとしたり・・・まあ、猿という時点でまんまだが、日本軍をイメージしたものだろう。従来は猛犬連隊こそ日本軍の象徴だった。それが、今度は猿扱いである。

更には勇猛果敢だったはずの猛犬連隊もどこへやら、上官を舐めたりサボったり・・・。士官学校でののらくろの恩師であり、ブルから連隊長後任を任されたテキサス大佐は、無能な戦略を押し通し、部下を無駄死にさせる愚将となった。あれだけ武勇を馳せたのらくろも、最初こそ往年の活躍を見せたものの、部下にビンタは古いと説教されたり、最後の決め手のところでまんまと猿にかわされたり、致命的なドジをおかすようになってしまった。

最後は猿を打ちのめす・・・ではなく、ブルの発案で両軍の軍隊を解散することを条件に講和。馴染みの面々もそれぞれの生活に戻ることになる。

ここで描かれたのは間違いなく、徹底的な、戦争と日本軍や軍隊の否定だろう。いわば、戦前ののらくろを否定するような内容でもあるが、流石の田河水泡、少ない違和感で(違和感が無いと言うわけではない)ユーモラスに描ききったのは流石の技量。このパート無しで、いきなり戦後に突入するのも、モヤモヤする訳で、描かれた事自体は評価に値するものだと思う。

にしても、文字通り「噛ませ犬」とさせられたテキサス大佐があまりにも不憫。その後、一切登場もしない。のらくろも、ここから情けない姿を多く見せるようになる。

最後のコマで、のらくろが「もとののらいぬに戻っちゃった」とうなだれるシーンで終わる。この予備役招集編を通して、入隊する前のゼロ状態にリセットし、新たな物語を展開するという狙いの演出だろう。地続きながらパラレルワールドを展開するような感じ。こういう展開に持っていけるのも凄いが、同時に、のらくろ可哀想だな・・・と思ってしまったのも事実。

f:id:type43:20210413164020j:plain 表紙の時点でかつての英雄譚とは異なった様相であることがわかる(のらくろ召集令)

戦後編

ゼロ状態となったのらくろ、身寄りのない身を嘆きながら仕事を求めて彷徨う。どこに行ってもドジばかり。挙句の果てに首をくくろうとしたり、警察に捕まったり、タコ部屋に入れられたり、葬式寸前まで行ったり・・・。活躍するシーンも少ししかない。ここまで不遇だとなんだか可哀想になってしまう。

f:id:type43:20210413164106j:plain 首をくくろうとしたきっかけとなった事件。さっきのブルとの再開と一緒やないかいw(のらくろ放浪記)

のらくろ召集令に掲載されている田河水泡のコメントでは「なんとかしあわせにしてやりたいと思っても、漫画の主人公にも、本人が背負っている宿命のようなものがあって、作者の思うようにはなりません。」との記載がある。田河水泡自身が幸せにさせてやりたいと言ってもなんともならなかった、というのだから、のらくろというキャラクターがいかに自立していたかというのを感じさせる。掲載誌が丸という大人向けの雑誌だったから、配慮する必要も無く、あえてのらくろに筆の進むがまま自由に歩かせていたというのもあるのかもだけども。

またデブやデカといったどこか無能のように描かれていた部下が、平和な社会だとのらくろよりも社会的地位を得て立派になっているというのも象徴的。同じように、軍隊時代の「ビンタ」教育を徹底的に否定するやりとりが何度も見られた。「軍隊の否定」が戦後編になっても根底としてあるということで間違いないだろう。

結果的に、その軍隊の象徴だったのらくろが否定されてしまう。致し方ないといえば致し方ないのだが、なんとも・・・。それが当時の日本の姿、というか、軍隊に従事した人間の戦後の悲哀を象徴しているようにも感じた。

それでも周囲はのらくろを愛し、のらくろに良くしてくれて、番頭から探偵を経て喫茶店に落ち着く。と言っても相変わらずドジばかり。勤務初日にいきなり客席に座ってマスターにコーヒー注文するのらくろも大概だがw

のらくろ茶店までくると、のらくろが開き直ったかのように堂々とドジする様子も見えてきて、これはこれでやっぱりコメディとして面白い。最終的におぎんちゃんと結ばれて独立するところで連載は終了。

最後の「この漫画もっと続けたらよかんべえ」「のらくろ漫画はこれで終わるんですか?」は田河水泡の本音だろう。一方で、モールに言わせた「のらくろのしあわせがいいチャンスだ」、ブルの「おしまれているときがやめどきだ」も田河水泡の本音だろう。

これ以上続けてものらくろが酷い目に会う展開が繰り返されるしかない訳で、止め時としては正解だったのかなとは思う。

最終話の少し前に、のらくろが子供の家に行き、孤児たちを励ます話がある。これは当然、孤児達へのメッセージでもあるんだろうが、掲載誌が丸ということを踏まえると、当時のらくろと同じ境遇だった子たちへのメッセージでもあり、大人になった人間へのメッセージでもあるんだろう。こういう理念を忘れないあたりも昭和の作家というか、田河水泡だなあと。

オチがのらくろを親ではないかと問い詰める孤児を追っ払って「二代目のらくろってのはあるけどね。作者のフィクションだよ。」というオチで終わるあたりが落語であり、昭和らしいw。現代の作品だと養子にもらうような展開にするしね。しかし、二代目のらくろとは何だろう。リバイバル連載されたというのらくろのことかな。

f:id:type43:20210413164518j:plain のらくろ茶店より

のらくろ」とは

ストーリーを深堀りしてみた訳だが、じゃあ改めてのらくろを一言でいうと?と言われると難しい。キャラクター漫画の原点でもあり金字塔、というのもあるし、戦中の漫画を舐めちゃいけないっていう芸術・エンタメ分野の教科書、っていうのもある。戦後生まれとしては、戦中戦後の戦争に対する感情の揺れを垣間見れる史料、というところを推したい。いや、まあシンプルにのらくろかわいいし中身面白いからそれだけで読んでくれりゃいいんだけど。

最近、のらくろクン目覚ましの保有経験率が20代ぐらいの若い(?)層で案外高かったということを知った(感覚的なもので別に統計をしたわけじゃないが)。意外にのらくろの存在って失われないんだなあと思いながらも、じゃあ原作読んだことあるか?って言われると皆無になる訳で。

昭和から平成に近づけば近づくほど、戦争肯定の軍国主義漫画という勝手な解釈で「配慮」という無責任な封じられ方をしているというのが実態だと思っている。いや、令和となり、その時期も過ぎて、既に風化し始めている状態かも。全編通して見れば立派な反戦漫画だし、平和のための理解という意味でも、やっぱりのらくろは気軽に読めるような状況になってないといけないんじゃないのかなあ、と思う。個人的にも何かしらの創作の参考にするための資料として手元に置いておきたいのが本音。でも古書としてのプレミアが付いちゃってるし・・・電子版で復刻してくれりゃいいんだけどね。

戦時打ち切りあたりの連載版と二代目のらくろと存在はのらくろ館に行けば詳細わかるんだろうか。気になる。

のらくろの文化的価値を広めるために

こういう色んな意味で面白い作品が、徐々に読めなくなりつつある現状ってのはなんとかならんのだろうか。

クールジャパン(失笑)は客観的に見ても、流行り物を並べて、外国人から金を巻き上げる目論見の施策。いや、どちらかというと、流行り物に便乗して利権団体が漁夫の利を得る施策か。のらくろは既に商業的な価値が無いと見なされてるし、良くも悪くも、対象外扱いなんだろう。(自民党のトップ層でのらくろ好き多そうだけどね・・・)。

なので、のらくろでもう一度ブームを!っていうよりは文化として消滅させないための現実的な活動がやっぱり必要なんだろうなあ、と思ったり。今回の図書館での現状然り。例えば、再復刊、というのはもちろんなのだけど、それを児童養護施設に寄贈するだとか、開架状態で公共図書館に置いてもらうように働きかけるとか。

それと海外への発信。海外向けに英訳・仏訳・中国語(台湾向けね)訳して展開する。これも単にネット通販とかではなくて、コミコンみたいなイベントで日本文化を積極的に受容しようとする人の手に頒布するとか。

日本って、長引く不景気と失政でもはや経済後進国状態だし、経済的利用価値の無いモノを振り返る余裕もない。日本国内で文化を残すムーブメントを期待するのは無理だろうなあと思う。出来たとしても美少女キャラ化とか課金スマホゲームとのコラボみたいなリスペクトの欠けたヤクザな方法ぐらいか。それよりは情熱があり、客観的な目線も持つ外国の方々に、文化の保存を委ねた方がコスパは良いんじゃないかなあと思う。

国内の場合は、現状ほぼ見向きもされていないので、まあ電子書籍化が実現すりゃ、それで御の字なんじゃないか。海外で盛り上がれば、見る目が変わるのもあるかもしれない。 講談社でも、既に一握りになっていると思うが、のらくろシンパ(のらくろで共産用語を使うのはふさわしいのかw)の人は今の現状をどう思ってるのだろう。経営層にもいそうだけど。

令和に期待したい「のらくろ」の展開

実はちょこちょこ動きのあるのらくろ

2017年の骨董ジャンボリーのらくろグッズ展が開催。また、個人ディーラーのものだが、2019年初頭(平成最後)のワンフェスで当日版権制度の下、のらくろ可動フィギュアが発売。

それ以上に、令和元年にのらくろ展が開催されたというのはとてもセンセーショナルだった。田河水泡生誕120年・没後30周年を見越してだろうが、偶然にも新時代にのらくろである。残念ながら大雨の影響による川崎市民ミュージアムの水没により、企画展は中止。資料を守る意味での防災認識の甘さ、川崎市の研究員への待遇の悪さなどもクローズアップされて、ビミョーな終わり方になってしまった。

令和元年でいうと、森下のらくろ館で生誕120年・没後30周年のセレモニーも開催(ひっそりと終わってた・・・)、エイケン50周年展(こちらは全国で順次開催中!まだ行けてないけど!)でアニメのらくろ大山のぶ代版)関連グッズまで展開されている。

さらに、超絶話題になっていないが、2020年にのらくろマンホールが北区でお披露目(マニアに人気のマンホールカードを発行しないあたりが意味不明・・・)。のらくろ館に新たにのらくろぬいぐるみが寄贈され、それを展示しているという話もある。

今、のらくろが熱い!

直接の関係は無いが、手塚治虫などが住んだトキワ荘の復元工事が完了し、一般公開されたという動きもある。言っちゃ悪いが、どれもこれも外国人受けしそうにないし、この辺は国が推進する「クールジャパン(失笑)」の対象外なんだろう。ただ、昭和の漫画好き老人に死が迫り(暴言)、自分の育った文化を後世に伝えたい・一花咲かせたいという想いが表に出てきている、とひしひしと感じる。

だとしたら、こういう流れに期待したい。もっとのらくろ展開してくれ!!

また、もし協力できるものがあれば(気持ちは)若者として何か協力したい。クラウドファンティングなどで企画が出てほしいなというのもあるし、企画者側の手助けができる機会があればそういうのもやってみたい。ぶっちゃけ、公式の御旗で色々動いてみたい。

インターネットさわれます。SNS得意です。何かあればTwitterのダイレクトメールとかで連絡ください。よろしくお願いします。